でたらめなステップを踏んだんだ

いつか今が思い出になる

漫画「どぶがわ」感想:日常と想像の贅沢。


「どぶがわ」/池辺葵

f:id:go_zzz:20170217121304j:imagef:id:go_zzz:20170217121310j:imagef:id:go_zzz:20170217121348j:image

2014年の第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門において、新人賞を受賞した作品。
とても素敵で、良い意味で予想を裏切られる物語だったので、感想を書き連ねようと思います。若干のネタバレありです。

 芸術祭HPより、紹介文を引用します。

 老婆の夢と現実を、情感豊かに描いた群像劇。「しあわせとは何か?」という問いに真正面から挑んだ作品。豪華なお城で暮らす美しい4姉妹は、美味しいごちそうを囲み、おしゃべりを楽しんで暮らしていたが、やがてそれは一人の老婆が夢に見る妄想の世界であることが明かされる。現実の世界では、高級住宅街の傍らにある臭気が漂う川沿いで、老婆はひっそりと暮らしている。頑(かたく)なで、貧しく、孤独な彼女は、決して周囲と積極的には関わらない。一人で生活をしているかのように見えても、彼女は日常の中で誰かとどこかでつながりを持ち、影響を与え合いながら生きていた。その町で暮らす人々の生活が淡々と描かれる中、小さな変化が訪れる―。

 『エレガンスイブ』(秋田書店)連載開始:2012年12月号連載終了:2013年10月号

 

 

贈賞理由
老婆のみる夢と、やるせないことの多い現実との交錯。『繕い裁つ人』(講談社、2009年~)『サウダーデ』(同、2011年~)と作品世界を深めてきた池辺の、これは勝負作であろう。描かれた現実の様子の「綺麗さ」は審査委員の間で議論にもなったが、連作としての構成の巧みさ、エンディングの妙が評価として勝った。創作者にとって、夢や想像も現実である。池辺はすべてを現実として読者に差し出したのだ。(斎藤 宣彦)

引用元 新人賞 - どぶがわ | 受賞作品 | マンガ部門 | 第18回 2014年 | 文化庁メディア芸術祭 歴代受賞作品


メデイア芸術祭の選ぶマンガが自分の好みドンピシャだったので歴代受賞作品をチェックしていたところ、この「どぶがわ」という作品に出会いました。表紙の線のタッチと色彩、推薦文に惹かれてマンガを購入。
表紙は中世ヨーロッパあたりの裕福な家の生まれのような女性たち。けれどこの作品が描くのは現代の日本です。そこがとても良い!

 

この上品な異国の女性たちが物語に不思議なエッセンスを加えることで、「想像」と「現実」を見事に調和させ、ひとつの上質で優しい物語を構築しています。
登場人物が過ごすのは決して煌びやかな日常ではないけれど、たしかな温度を伴った、幸せで充足感に満ちた日々でした。とても素敵です。

 お婆さんの暮らしは質素で、世間一般からすれば寂しく粗末なもの。けれどその生活を「幸せでない」なんて他者には言えないよね、そこに満ちた優しく幸せな時の流れを他人が推し量ることなんてできないよね、というような感じ。

 「妄想も思い出も自分だけのものという贅沢」というレビューを見かけました。まさにこの通りです。
どぶがわを基軸にしたオムニバス、というのもちぐはぐで面白いなと感じました。美しいものをそのまま描くだけではないというか。
贅沢な幸せを表現するのは、豪奢で綺麗なものではなくていいんだよなぁ…としみじみ。

あまり出来のよくない子どもとその友達、豊かな暮らしを手放さざるを得なくなった学生、市役所に勤める夫と上品な妻、音楽好きな中年男性、そして、川近くのベンチにて夢想し続けるおばあさん。
彼らの織りなす日々が、温度と質量を伴ったあの町を構成しているんです。時折それぞれの日常が交錯するのが良いですね。

 私が好きなのは彼女が「騎士さま」と言うところ…!
あのシーンが一番好きです。日常が想像へとまさに羽ばたく瞬間を切り取ったようで。
とても些細なことではあるけれど、なんと美しく、幸せな光景なのか。おばあさんと一緒に、この上ない感動を共に味わえた気がします。

 

 そして特に好きなのは学生ふたり。

パイロットは自分には遠い、と言う子と、実現しうる将来の夢として「パイロット・数学博士…etc」を挙げる友達。
このふたりがまた良いですね。

だんだん「周り」と、傑出したところのない平凡な自分の齟齬を感じ始める間接的な描写がとてもリアルに感じられました。
どぶがわを気にする彼は、自分の深層のコンプレックスを映し出しているようで「どぶがわ」が嫌だったのではないでしょうか。そして「おばあさん」の外れ者であるところに、どこか自分に似た何かや一種の親近感のようなもの、を感じていたのかもしれません…。


おばあさんに掛けられた言葉でハッとする。人の心を揺るがすのには、心の波長のタイミングが合っていて、自分の奥深くに響くものであれば簡潔な言葉だけでいいんです。華美な修飾など不用。まさにこの物語の醍醐味のような感じがします。

あと最後数ページのくだりに、言い様のない充足感を味わえました。
良かったね。彼はこれからもまた、たくさんのものを彼自身の目を通して見るんだろうなと思わされました。夢を全速力で追いかける友達への、ある種の僻みがないようで安心しました。この世界は厳しいようで、とても優しい。

 

 f:id:go_zzz:20170217121332j:image

こういった無音の場面が多いのですが、それゆえに感情や人物の暮らしというものがより一層際立つように感じられます。こういう空間の切り取り方が好きだなぁ…

f:id:go_zzz:20170217121357j:image

そして彼女らのテンポの良い会話も、どこかコミカルで楽しい。喋り方や言葉選びに育ちの良さや性格がでていて良いですね

学生たちのお喋りも好きです。やわらくって、温かい。

 

そして、おばあさんは死を迎えますが、それはいわゆる孤独死です。
とはいえ、その死は悲哀に満ちたものには感じませんでした。

この本を読まれた方は、みな同じように感じるのではないでしょうか。
彼女は円満に生の終わりを迎えたのだ、と思います。「幸せ」なんて曖昧で恣意的なもの、噂話に興じる他人には推し測れないのです。

 

「日常はすべて自分だけの贅沢」、この物語の醍醐味は、まさにこの言葉に集約されるのでしょう。
「足るを知ること」は日常において非常に重要ですね。私もこの上なく"贅沢"で、優しい日々を送りたいです。

フォアグラがとってもおいしそうです。
読後になにか食べたくなりました。このフォアグラのように何か自分の好きなものを……。
ドレスとまではいかないまでも、綺麗に着飾った格好をして、大切な誰かと食事するのはいいですね。春の光が射し込む窓辺で。